甲賀・伊賀他、忍者の流派・派閥別特徴・歴史のまとめ

違いのわかる男

なんか忍者マンガ読んでたら気になったので少し勉強してまとめてみました。一部独断と偏見あり。概ね自分用に書いてますが、せっかくなので公開します。これを読んでから忍者ものを読めばよりいっそう楽しめることうけあい?
そのうちもうちょっと書き足す予定です。

甲賀忍者(甲賀もの)

有名な甲賀忍

・多羅尾光俊
後述する家康の伊賀越えの際に宿と護衛を提供した人。後にこの恩により徳川家に好待遇で召し抱えられる。
・杉谷善住坊
杉谷は五十三家のひとつ。甲賀隋一の鉄砲名人で、「信長公記」では比叡山の僧侶。雑賀衆という説もある。六角氏の名で信長を狙撃したが失敗し、後日鋸挽きの刑に処されたとされる。
・猿飛佐助(講談等)
明治から大正にかけて発行された立川文庫の中でも有名なキャラクターで、真田十勇士のひとり。大正時代の少年たちに忍者ブームを巻き起こした男。モデルは伊賀忍の下柘植木猿・小猿?
・ガルフォード(サムライスピリッツ)
SNKの格ゲーキャラ。アースクェイクも甲賀忍出身で、ガルフォードとは同期。
・ケムマキケムゾウ(忍者ハットリくん)
・バジリスクのみなさん
女忍者も出てきます。

在住箇所

現在の滋賀県甲賀市。当時の滋賀県は近江と呼ばれている。大阪と名古屋の中間ぐらい。

主な特徴

甲賀に伝わる複数の流派の総称を指して甲賀流と呼ぶ。普段は農家、行商人。薬の扱いに長け、薬売りとして諜報活動を行った。現在でも甲賀には製薬会社が多い。手妻(手品)が得意で、鉄砲伝来以前から火薬の研究を行っていたため、射撃・爆薬に強い。女性の忍者がいない。合議制をとる。なんか理系っぽい。

歴史背景(鈎の陣)

もともと甲賀は「甲伊一国」と呼ばれ、国土的に伊賀の一部として存在した。伊賀のライバル(主に悪役として)のイメージが強いが、これは徳川/豊臣方に分かれたことと、後年の創作によるところが大きく、基本的には協力的な存在だったと思われる。

甲賀忍者の名を(恐らくゲリラ兵的な意味で)世にしらしめたのは、1487年の鈎の陣といわれている。その頃甲賀一帯は守護職六角氏の領内だったが、甲賀武士(忍者)たちは独自の合議制度「惣」をもって地方分権的な政治をとり、六角氏もこれを認めるという割とおおらかな主従関係をとっていた。

その六角氏自身も本来は室町幕府のお目付け役だったはずが、次第に一国一城の主としてふるまうようになっていった(守護大名)。増長し、幕府を無視するような行動をとるようになった当時の領主・六角高頼に対し、幕府は軍事行動をとることを決定する。この六角征伐のうち、一回目のものが鈎の陣、二回目は1491年。

六万の軍勢に対し、六角側も奮戦したがそこは数の暴力、六角高頼は居城を追われ領地内を逃げ回ることになった。幕府群もそれを追うが緒戦があまりに圧勝だったので調子に乗り、栗太群鈎(現在の滋賀県栗東市)の安養寺を改装してのんびりし始めた。ここでやってらんねーよとばかりに先陣に加わっていた大名の多くが帰路についている。

ここに甲賀の武士たちが勝機を見出した。偵察を重ねた上で夜中踏み込み、足利将軍義尚に重傷を負わせることに成功する。鈎の陣はこの後も1489年まで続き、足利義尚の討ち死にを持って決着するが死因は不明。鈎の陣に参戦した甲賀の地侍53家が「甲賀五十三家」とされ、中でも逆転の契機となる夜襲に参加したものを「甲賀二十一家」として重用されることになった。

後に甲賀忍は豊臣秀吉の支配下に入り、徳川家康の配下となった伊賀忍と対立関係になる。このことから甲賀・伊賀をライバルとし、(家康が勝利したことで)甲賀を悪者とする風潮が広がるが、これはあくまで戦国下の話である。甲賀忍はその後家康配下として関ケ原の戦い等で奮戦し、江戸幕府成立後は伊賀同様、徳川幕府の泰平を支えた。

伊賀忍者(伊賀もの)

有名な伊賀忍

・服部半蔵正成
「半蔵門」の地名は彼の家があったことから。伊賀の上忍一族出身。とはいえ本人は忍者というより侍だった可能性が高い模様。父親が伊賀を出奔後徳川家康の祖父に仕えたこともあり家康の配下となり、後には伊賀・甲賀のまとめ役となる。
・百地丹波
通称百地三太夫だが丹波と三太夫は別人説もある。服部半蔵、藤林長門守と並ぶ伊賀流三大上忍のひとりだが、百地と藤林が同一人物という説まである何がなんだかよくわからん人。根来・雑賀に忍術を伝えたという説がある。後年忍術指南書「万川集海」を著したのは藤林の子孫とされる。
・楯岡道順
六角氏による沢山城攻めの際に、乞食に扮装してまずは内部を探り、次は夜回りとなって内部から火を放つ策略で圧勝したとされる。
・霧隠才蔵(講談等)
真田十勇士のひとり。猿飛佐助のライバル。石川五右衛門は兄弟弟子という設定。
・葛籠重蔵(梟の城)
・無門(忍びの国)
・赤目(カムイ伝)
・ハットリカンゾウ(忍者ハットリくん)
・バジリスクのみなさん

在住箇所

現在の三重県伊賀市及び名張市。甲賀とは山ひとつ挟んだお隣さん。

主な特徴

甲賀同様合議制だがややワンマン経営に近い状態だった模様。上忍・中忍・下忍の階級制度がある。特定の主君に仕えず、金銭の遣り取りで助勢する傭兵的な立ち位置だったとされる。変な訓練の多彩さ、抜け忍に厳しいことでも有名で、全体的にブラック企業の雰囲気が漂っている気がする。伊賀の乱以降は全国の武将に仕えたため知名度がとても高い。

歴史背景(天正伊賀の乱~神軍伊賀越え)

地理的に甲賀と近く同様に六角氏の領内に属していたが、鈎の陣に伊賀ものは参加していない。行政的に六角氏の傘下にあらず、完全に独立していたからである。

伊賀忍者のエピソードとして最も有名かつ派手なのは、天正7年(1579年)及び9年の二度に渡る天正伊賀の乱。時は戦国、織田信長が天下統一へ向けて躍進していた時期。織田信長の次男・信雄は伊賀の領国化を狙い、国境にある丸山城の修築を命じた。これに対し伊賀ものは警戒を強め、修築完成前の攻撃を決議する。

お得意の奇襲で追い出された信雄は当然激怒する。信長に無断で8000人の軍勢を動かし反撃するが見事に敗走。さらに信長にバレてしこたま怒られる。これが第一次天正伊賀の乱であり、城攻めに稀有な能力を有する伊賀忍者の能力を証明するものでもあった。

天正9年になると、今度は織田信長が4~5万程度の軍勢を引き連れて乗り出してくる(第二次天正伊賀の乱)。多方面からの包囲戦に二週間ほどで伊賀は制圧され、多数の犠牲者を出した末に最終的に和睦が結ばれる。この際いくらかの伊賀ものは他国に逃れて士官し、三河(現在の愛知県)の徳川家康の庇護を受けたものもいたという。各地の武将下で活躍する忍びたちは「伊賀忍」というブランドイメージを確立していく。ちなみに、この時既に服部半蔵は家康配下。

天正10年に本能寺の変が起こり織田信長が没すると、たまたま本能寺のある京都から地理的に近い堺にいた徳川家康はついでに抹殺されることを恐れ、山中を行軍して逃げ延びることになる(神軍伊賀越え)。しかし伊賀ものは伊賀の乱を通じて信長に恨みを持っており、こっちはこっちで信長と親密だった家康にとっては危険。そこで信長の外様となっていた伊賀もの・多羅尾光俊に助力を仰ぎ、無事に三河へと帰り着くことに成功する。

後に伊賀・甲賀両忍は徳川家で活躍することとなるが、この伊賀越えの一件が家康に与えたインパクトとそれは無関係ではないと思われる。

その他の流派

風魔

現代の小田原市周辺に風間という谷あいの村があり、そこに住む特異の技術を身につけた人々を「風魔」と呼んだ。身の丈2mを超え目と口が裂けているという頭目「風魔小太郎」で知られるがたぶん盛ってる。なお、小太郎は頭目が世襲する名称で個人名ではない。北条氏により間諜・ゲリラ兵として重用された。

三ツ者

三ツ者

「雪花の虎」第二十七話(5巻収録)より


「常勝」を誇る武田軍の強さの秘訣のひとつは、三ツ者と呼ばれた忍者による徹底した諜報にあったといわれている。あまりイメージがないが武田信玄は最も忍者を重要視していた戦国武将であり、最盛期は二百人ほどの三ツ者を各地に送り込んでスパイ・内応・破壊工作に勤めさせたという。

軒猿(のきざる)

「軒猿」の由来は初めて忍びを用いたとされる中国の皇帝からで、上杉氏に仕えた忍者の名称。「北越軍談」に、武田軍の三ツ者を軒猿が捕らえたとの記述がある。上杉氏の忍びは「夜盗組」「伏齅(ふしかぎ)」とも記述され、実際本人がどう呼んでたのかは不明。

根来衆(ねごろしゅう)

根来衆

「十~忍法魔界転生」 “ゲームのルール(三)”(5巻収録)より


由来は紀伊国(和歌山)の僧兵連合体で、天正伊賀の乱で逃げ延びた百地丹波により忍術が伝来されたとされる。根来衆は種子島に流れついた鉄砲技術をいち早く取り入れたことで知られ、その知識が雑賀へと伝播した。根来衆の全員が僧兵というわけではないが、軍事を担当する「行人」の武力は圧倒的なものであったとされる。

雑賀衆(さいかしゅう)

雑賀党

「村上海賊の娘」第26回”織田軍、痛恨の一撃を受ける。”(3巻収録)より


根来衆と同じく紀伊国(和歌山)の忍であり、忍者にしては珍しく海軍を擁していたとも言われ、海運貿易を通じて鉄砲の材料となる鉄や硝石を入手していた可能性が高い。おそらく忍者というより武装集団に近いノリだったと思われる。雑賀衆の頭目が鉄砲名人として知られる雑賀孫一である。

響談(きょうだん)

信長が命名し尾張(愛知)の忍びは響談と呼ばれた。たぶん実態は甲賀忍。「饗応」して味方に引き入れる、利用するというような意味合いから、信長が忍びをどう捉えていたかがなんとなく伝わってくる。

黒脛巾組(くろはばきぐみ)

伊達政宗配下の忍者集団。黒革の脛当てを当てていたことからの名称ということだが古典資料がなく、ほんとにこう呼ばれてたかは不明とのこと。

その他の有名忍者

児雷也

江戸時代の読本から生まれた蝦蟇を使役する妖術系忍者にして盗賊。蛞蝓を使う綱手が妻、大蛇を使う大蛇丸を宿敵とする。3すくみの構図だが実は二対一。絵としての華やかさからか時々フィクションに顔を出し、「少年児雷也」「天外魔境」「NARUTO」などで世代を問わずある程度の知名度を誇る。

果心居士(かしんこじ)

流派不詳。忍者というか幻術使いとして知られ、特に松永弾正に死んだ妻の姿を見せて度肝を抜いたエピソードで有名。豊臣秀吉に処刑されそうになると鼠に化けて逃げたという。その圧倒的胡散臭さからラスプーチン同様色んなフィクションに登場する人気者。

ミュータント・タートルズ

たぶん若い方には知名度が低いと思うが、ミュータントにして忍者にして亀というその絶大なインパクトと外見から一時は世界的にヒットしていた形容しがたい四人組。亀の分際で名前がラファエロだのミケランジェロだの無駄にルネッサンスである。原作はアメコミ。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする